中古車流通業界から福祉の世界へ転身 障害者と共に働き、共に生きていく
-株式会社とも湘南 スワンベーカリー湘南店 代表取締役社長 比企野 雄二氏-
あまり聞きなれない名称ですが、ソーシャルファームという組織体を読者の皆様はご存知でしょうか。障害者の雇用を前提に障害者だけでなく、労働市場において不利な立場にある人々、いわゆる就労弱者を多数(3 割以上)雇用し、健常者と対等な立場で共に働くとともに、国からの給付・補助金等の収入を最小限に定めた高潔な組織体のことを言います。世界的に見て、障害者雇用では遅れをとっている日本においては、このソーシャルファームに該当する企業は極めて少ない中、神奈川県のホームページで紹介されている2 社のうちの1 社、株式会社とも湘南スワンベーカリー湘南店(神奈川・伊勢原)を今回紹介します。 この会社の代表者である比企野雄二氏は、ご存知の方も多いかとは思いますが、荒井商事(株)(アライオートオークションインターナショナル)で専務取締役を務めたのち、インターネット落札代行会社(株)アイオークを創業、初代社長に就任。その後は(株)オークネットの取締役に就任するなど長年、中古車流通業界で活躍された人物です。今から7 年前、52 歳の時に周りから惜しまれながらも、この業界から退き、福祉の世界に転身しました。 個人的なことを申し上げて恐縮なのですが、筆者は大学卒業後、荒井商事(株)に入社し、その時の上司が比企野氏で、それ以来30 年以上のお付き合いになります。最近、多くの読者の方から、比企野氏の近況を紹介してほしいとの声が多く寄せられていますので、今回はそのリクエストにお応えする形でお届けします。
52歳で上場企業の役員から退任、残りの人生を福祉に捧げる決意
中尾:比企野さんがオークネット社の取締役を退任されたのは、確か2010年(平成22年)の3月でしたね。 比企野:そうですね。今から7年前、52歳の時です。
中尾:業界をリードする企業の役員として、52歳と言えばこれからと言う時に自ら退かれたのは、当時は衝撃的なことでした。改めてお聞きするのですが、何故、人から見れば羨ましがられるその立場を投げうってまで、福祉の世界に飛び込まれたのでしょうか? 比企野:実は私の3 番目の息子が知的障害を持って生まれまして、これまで多くの方に大変お世話になりました。人生の後半はそういう方達へ何か力になることをしたい、少しでも恩返しがしたいと思っていましたが、その息子が養護学校を卒業する時期でちょうど良いタイミングだったので、会社に無理を言ってわがままを通させていただきました。
中尾:その時点で現在経営されているスワンベーカリーをやろうという構想はあったのですか。 比企野:いえ、当初はまったくノープランでした。最終的に人のつながりで今の形になりましたが、まさか自分がパン屋を営むとは思っていませんでした。
スワンベーカリー湘南店の前に立つ比企野雄二社長
中尾:具体的にここに至るまでの経緯を教えていただけますか。 比企野:しばらくは広く福祉の世界を見てみようと思い、世間で話題となり注目されているような国内の福祉施設や、またアメリカ、韓国など海外まで足を延ばし、知見を広げる時間に半年程度費やしました。
中尾:それでだいたい方向性と言うのは見えてきたのでしょうか。
比企野:以前から思ってはいましたが、障害者の雇用率の低さが示す通り、障害者の働ける場所が圧倒的に少ないということをこの期間で改めて痛感しました。そこで、自分は長らく企業経営に携わってきましたので、あくまでも漠然とですがより多くの障害者が働けるような場所を創り出したいと思ったわけです。
中尾:なるほど。具体的にはその後どのような展開になるのでしょうか。
比企野:その年の9月に、息子がお世話になった湘南養護学校の進路指導の先生から相談がりまして、横浜に障害者の方が働くパン屋とカフェを運営しているNPO法人「ぷかぷか」の高崎理事長という方がいらっしゃって、その方が、運営で大変苦労されているので一度お会いしてアドバイスをしていただけないかということでした。どれだけのアドバイスができるか、正直自信はありませんでしたが、とりあえず、お会いすることにしました。
中尾:高崎理事長は運営でどのような苦労をされていたのでしょうか。
比企野:彼は長らく養護学校の教員を勤められ、定年後、やはり障害者の雇用の場を創出したいというお考えとご本人は元々パン作りが趣味だったこともあって、障害者が働くパン屋さんを始めたようです。高尚な理念をお持ちで人格的にも大変優れた方なのですが、何分、教育のプロであって、事業経営に関しては素人でマネージメントが上手くいかないため生産性が上がらず、運営が成り立たないというものでした。
中尾:比企野さんはどのようにサポートされたのですか。 比企野:ただ生産性が上がらないと言っても、どこに問題があって、どう改善すればよいかは現場を見なければ自分としてもわからないので、しばらく通ってみました。
店内はカフェがありランチも提供している
中尾:どこに問題があったか判明しましたか。 比企野:代表的な事例をわかり易く一つ挙げるとすれば、障害者と言っても、個々の能力は千差万別で、中には健常者と何ら変わりなく、接客しレジ打ちできる子もいれば、袋詰めやシール貼りすらままならない子もいます。極端な言い方になるかもしれませんが、教職経験者の場合、能力に関わらずすべての子に平等に育てるという傾向があり、適材適所という概念は薄いように感じられました。 今、私自身、パンの製造販売に携わっていて、つくづく実感しますが、この商売は仮に100%健常者を雇用していたとしても、その労力の割には極めて利の薄い商売です。それを障害者で運営していく場合、能力に応じた適材適所で運営しなければどうやっても生産性は上がりません。
上描いていた構想を先送りし、パンの製造販売業に着手
中尾:なるほど。そういう点に問題があったわけですね。よくわかりました。ところで、この後スワンベーカリーにはどう繋がっていくのでしょうか。 比企野:実は高崎理事長に請われるまま、翌年には理事に就任し(現在も継続)しばらく「ぷかぷか」の業務に従事していました。それから1年ほど経った頃でしょうか、高崎理事長から相談がありまして、伊勢原で同じように養護学校を定年退職し、こちらは教員時代の同僚と保護者が出資して設立した「株式会社空とぶ亀」の代表者である加藤さんという女性経営者の方が大変困っているので、一度話を聞いて欲しいということを持ちかけられたのです。
中尾:またですか。(笑)やはり生産性が低下しているということだったのですか。
比企野:基本的に同じなのですが、やや事情が異なっているのが、こちらは株式会社の形態で、設立から7年が経過していて、当初は障害者を雇用することで国から助成金が支給されるため経営が維持されるのですが、雇用を継続することで国からの助成金が減少していきます。変な話ですが、継続して雇用している障害者を解雇し新たに障害者を雇用すれば、助成金も継続して見込めますが、それでは何の意味もありません。売上自体は維持しているのですが、助成金が減少する分経費を圧迫してしまい、生産性を低下させてしまうのです。
中尾:その生産性の低下をどのようにカバーしていたのですか。
比企野:経費を極力抑えなければならないので、結局、新たな費用の発生とならない、ほとんど報酬のない加藤さんや役員の方が業務をカバーするしかなかったわけです。しかし加藤さんをはじめ皆さん、養護学校を定年退職して7年が経過しているわけですから、自ずとお年が推測されますよね。そういう方達が朝の5時、6時から店の閉店まで休みなく働き続ければ、当然精神的にも肉体的にも疲弊しきってしまいます。実はこういうケースは全国的に見受けられるケースでこれが福祉の現場の実態なのです。
中尾:行政からもっと手厚い保護があるのかと思っていましたが、実際には過酷な状況なのですね。しかし、この会社を比企野さんは引き取られたわけですよね。
比企野:結果的にはそうなりますが最初はそういうことではないです。私自身3年間福祉の世界に身を置き研究を重ねた結果、障害者を雇用した地域コミュニティの情報提供の場「街の駅」を立ち上げようと思っていましたから。
中尾:なるほど。それでは加藤さんから相談を受けて比企野さんはどのように対応されたのですか。
比企野:当時、私の高校大学を通じて親しくしていた地元の友人が、日本を代表する世界的なタイヤメーカーの社長に就任した時期だったので、彼に企業の社会的責任(CSR)という見地からこの会社を引き取ってくれないかと持ち掛けたのです。
中尾:そのタイヤメーカーの社長さんの反応はどうでしたか 比企野:非常に前向きに受け止めていただきました。実際に役員会議の議題にも挙げていただき、かなり突っ込んだ討議がされたようですから。しかし、最終的な判断としては、タイヤメーカーが、人の口に入る商品の製造販売には躊躇したようです。
中尾:確かにそうですね。しかし世界的なタイヤメーカーがそこまで動いてくれたのですからさすがです。結局、それで比企野さんが引き継ぐことになったわけですね。 比企野:そういうことです。正直かなり迷いましたが、やはり人の繋がりを大事にしたかったのと、「街の駅」の構想は先送りしても、今、自分がやるべきことはこれだと思ったからです。あと、スワンベーカリーというブランドも決め手の一つになりました。
中尾:何故、スワンベーカリーが決め手になるのですか。 比企野:先程も申し上げた通り、パンの製造販売は生産性が悪く、自分としては避けたかったわけです。しかしスワンベーカリーに関しては、成り立ちからして別格と言う思いがあったからです。
中尾:それは具体的にどういうことでしょうか。 比企野:スワンベーカリーというのは、ヤマト運輸で長年社長、会長をされていた小倉昌男氏が平成10 年に設立したパン製造販売を行うフランチャイズチェーンですが、これは小倉氏が健常者の得る最低賃金支給額より大幅に安く賃金を支払われることが多い障害者雇用の現状を憂い、障害者が適正な収入を得られる技術や、環境を得られることを目的にしていたことに共感していただいたからです。
就労継続支援A 型の指定を受け、ソーシャルファームとして地域に貢献
中尾:そうですか。高尚な理念に基づいたパン屋さんだったのですね。高級ブランドのパン屋さんの認識しかありませんでした。ところで、具体的に、加藤さんからどのように比企野さんに引き継がれたのですか。 比企野:平成25 年8 月末日付けで、加藤さんの株式を若干残した上で、残りの株式を全て引き取り、同年12 月から会社名も「空とぶ亀」から「とも湘南」に変更、店名「スワンベーカリー湘南」はそのままで、私が代表取締役社長に就任して、再スタートしました。
中尾:さて、再スタートはしましたが、問題は山積していますよね。どのように改善していったのですか。 比企野:まず手始めにやったのは、就労継続支援A 型の指定障害福祉サービス事業所として指定を受けたことです。やはり、より多くの障害者を雇用していくには、継続的な国からの支援は不可欠です。雇用した時だけ発生する雇用創出の助成金だけでは、以前と変わりません。
中尾:不躾な質問で恐縮ですが、これはどの程度の助成になるのでしょうか。 比企野:発表されている全国平均で言うと、障害者1人に対して1日平均で6,000円程度の訓練給付金を継続的に受けることができます。
中尾:経営的にはかなり楽になりますね。それでも「とも湘南」さんは、国からの給付・補助金等の収入を最小限に定めているソーシャルファームとして、神奈川県下では2社紹介されているうちの1になっていますよね。 比企野:これには色んな意味合いがあります。就労継続支援A 型の指定を受けた企業は原則、雇用している障害者に最低賃金以上の給与を払うので給付金を受けても経営的には決して楽ではありません。ところが、給付金を悪用する企業も実際には存在するのです。どういうことかというと、ほとんど実態のない事業で売り上げも形だけしか上がっていないにも関わらず、多くの障害者を雇用して多額の訓練給付金を受給し、極力切り詰めた経費との差分で収益を上げているといったもので、それに対して当社は事業売上に比べ給付金の額が少なく、しっかりした事業と福祉を両立して経営している企業であることを強調したいのだと思います。
中尾:なるほど。それ以外の取り組みとしてはどんなことが挙げられますか。
比企野:マネージメントの強化ですね。先程も少しお話しましたが、障害者の個々の能力に応じて勤務シフトや担当部門を適材適所で配置し業務効率を高めました。
中尾:営業戦略的にはどうですか。 比企野:立地の問題もあり、店舗販売の売り上げだけでは、どれだけ頑張っても所詮限界があります。ですから、外販を強化しました。従来からあった病院や養護学校、福祉施設に加え、多くの工員が働いている工場など企業やスーパーなどの民間企業、また私の出身校である平塚江南高校をはじめ、様々なところへ拡げていきました。
中尾:その結果、今では年商4000万円を超え、先が見える状況に改善されたのですね。ちなみに重ねて不躾なことを聞いて申し分けないのですが、比企野さんの個人的な収入は以前と比べてどの位変わりましたか。 比企野:変わったという次元ではありません。オークネット社を退任してから昨年まではほとんど無報酬でしたから。逆に交通費などの経費分は持ち出しの状況でした。お陰様でようやく月に数万円の報酬は受けとるようになりましたが、それでも28 人いるスタッフの中では、一番安いのではないでしょうか。(笑)
中尾:えっ。そうなんですか。やはり福祉の世界は厳しいのですね。普通の人ではとてもできることではありません。 比企野:この世界に飛び込む時点で覚悟はしていましたからどうということはありませんが、文句も言わず支えてくれている家内には本当に感謝しています。
新商品「あまおう苺パイ」 お店一押し商品
福祉の世界と中古車流通業の橋渡し役を目指して
中尾:さて、スワンベーカリー湘南店の今後の展開について、お聞かせください。 比企野:大きく二つあります。まず一つは、マーケティングの強化です。とかく“障害者が製造販売したパン”と言うと同情からの購入を期待する傾向がありますが、そうではなく求められるパンを提供し消費者の皆さんと長くお付き合いのできるパン屋を目指したいと思います。
中尾:具体的にはどういうことでしょうか。 比企野:幸いスワンベーカリーの商品は良品質ですから優位性はあります。しかし、アイテム数は80にも及びますから、常にお客様の声を聞き、販売実績を分析した上で、その中から地域に合った商品を選択しなければなりません。また新商品も数多く発売されます。その中から人気商品を育てていくことも重要になります。また今年から当店オリジナルの“すわん通信”(写真参照)という情報誌をA4サイズの1枚ものですが発行しました。今後は新商品情報やイベント情報などを積極的に発信していきたいと思います。
中尾:もう一つの展開とは。
比企野:長年お世話になった中古車流通業界への展開です。これまでもオークション会場さんや中古車販売店さんのイベントでは、パンを納めさせていただいたり、スワンベーカリーでは贈答品も扱っていますので、お中元やお歳暮でお付き合いをしていただいておりますが、今後はこれまでとはまったく異なった、我々福祉の業界にとっても、また中古車業界にとってもメリットのある事業を展開したいと考えています。
2017年から発行している情報誌「スワン通信」
中尾:両業界にとってメリットのある事業とはどのようなものですか。 比企野:例えばですが、販売店さんへのカークリーニング業務や、入札会場さんへの看板剥離業務の業務委託です。仮に健常者1名(実際の作業従事と障害者への作業指導)と障害者3名を派遣し仕事を請け負ったとします。障害者の作業ですので、作業効率的には合わせて2名分程度しか上がらないと思いますが、業務委託費として1名分の費用で済めばどうでしょう。当社には彼らの仕事を作り、しっかり支援することにより国から給付金がでますので、非常に競争力のある業務委託料を提示することができます。当社にとっても障害者の雇用が確保され、販売店さんは経費を抑えることができるので、両者にとってメリットになるのではないでしょうか。
中尾:そうですね。それと比較的中古車業界は企業の社会的責任(CSR)が希薄ですが、これを導入することで社会に貢献できるのではないでしょうか。 比企野:おっしゃる通りです。そういうことで業界に少しでも恩返しができれば有難いです。
施設利用者竹村錠さんに聞く
中尾:有難うございます。ところで最後に恐縮なのですが、お一方でも雇用されている障害者の方からお話を聞くことはできませんか。 比企野:よろしいですよ。ちょうど今、創業から働いてくれている竹村錠さんが出社しましたので、彼を紹介しましょう。ちなみに彼を含め彼らのことを正式に「利用者」と言います。いわゆる福祉サービス事業者、当社のことを指しますが、その施設の利用者という意味合いです。
中尾:錠さん、はじめまして。宜しくお願いします。 竹村:竹村錠と言います。こちらこそ、宜しくお願いします。
中尾:錠さんは、創業からということですから11年間勤務されているわけですが、どういったお仕事をされているのですか。 竹村:はじめの頃は店で袋詰め等の外販準備の仕事をしていましたが、徐々に体が動かなくなってしまって、今は毎週金曜日に七沢リハビリテーションというところで、パンを販売しています。 比企野:錠さんは七沢リハビリテーションの人気者で、ドクター、看護師さん、患者さんが待ちわびていてくれて、売れる時は1 時間で6万円、350個も販売してくれるんです。
中尾:このお店の日商平均が15万円ですから、凄い販売額ですね。ところで大変失礼ですが、錠さんはどんな障害があるのでしょうか。 竹村:関節拘縮症という障害です。 比企野:関節拘縮症とは正式名を先天性多発性関節拘縮症といって、関節の筋肉が収縮して伸びなくなってしまう難病で、1万人に1人の発症率だそうです。年を取るごとに筋肉が固まり動けなくなっていくのと、痛みも強くなっていくので、本人は辛いと思います。
比企野社長(左側)と竹村錠さん
中尾:お仕事をされていて、辛くはないですか。
竹村:普段はお医者さんからもらった痛み止めを飲んでいますが、販売をしている時は痛いことを忘れさせてくれるので、お薬を飲まなくても良いので逆にいいです。
中尾:11年間働いていらっしゃって、嬉しかったことは沢山あったと思いますが、その中でも印象に残っていることはどんなことですか。 竹村:はじめて給料をもらった時はとっても嬉しかったです。それと、加藤さんや比企野さんがサポートしてくれたお陰で、一人で生活することができるようになったことです。僕は生まれてからずっと孤児院やホームで過ごしていたので、一人暮らしできるようになったことが一番嬉しかったです。
中尾:錠さんのこれからの夢について、お聞かせください。 竹村:恐らく将来は車椅子の生活になると思いますが、病気とはお友達になって、うまく付き合い、少しでも長い時間、一人で歩けるようにしたいです。そして、これからも長くこのお店の仕事をしていきたいです。
中尾:頑張ってくださいね。急なインタビューにも関わらず有難うございました。また比企野さん、本日は長時間に渡り貴重なお話をお聞かせいただき、改めて有難うございました。今後の発展を心から応援しています。